第1次コール内閣
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第1次コール内閣 | |
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ドイツ連邦共和国 第14代内閣![]() |
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成立年月日 | 1982年10月4日 |
終了年月日 | 1983年3月30日 |
組織 | |
元首 | カール・カルステンス |
首相 | ヘルムート・コール |
与党 | キリスト教民主同盟(CDU) キリスト教社会同盟 (CSU) 自由民主党(FDP) |
野党 | 社会民主党(SPD) |
詳細 | |
終了直前の選挙 | 1980年ドイツ連邦議会選挙 |
前内閣 | 第3次シュミット内閣 |
次内閣 | 第2次コール内閣 |
第1次コール内閣(だいいちじコールないかく、ドイツ語: Kabinett Kohl I)は、ヘルムート・シュミットが建設的不信任の可決により連邦首相を罷免され、ヘルムート・コールが新たな連邦首相に選出されたことで1982年10月4日から1983年3月30日まで続いたドイツの内閣である。
概要
第3次シュミット内閣の連立与党を構成していた自由民主党(FDP)が政権を離脱し、野党のキリスト教民主同盟(CDU)及びキリスト教社会同盟 (CSU)との連立交渉が9月28日に合意された。10月1日には、シュミット首相を罷免し、同時にヘルムート・コールを後任に任命する建設的不信任決議が、連邦議会に提出され可決。こうして戦後のドイツではじめて建設的不信任決議が可決され、コール内閣が発足することとなった[1]。
閣僚
役職 | 画像 | 氏名[2] | 所属政党 | |
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連邦首相 | ![]() |
ヘルムート・コール | CDU | |
副首相 | ![]() |
ハンス=ディートリヒ・ゲンシャー | FDP | |
外務大臣 | ||||
内務大臣 | ![]() |
フリードリヒ・ツィンマーマン | CSU | |
司法大臣 | ![]() |
ハンス・エンゲルハルト | FDP | |
財務大臣 | ![]() |
ゲルハルト・シュトルテンベルク | CDU | |
経済大臣 | ![]() |
オットー・グラーフ・ラムスドルフ | FDP | |
食料・農業・林業大臣 | ![]() |
ヨーゼフ・エルトル | FDP | |
ドイツ問題担当大臣 | ![]() |
ライナー・バルツェル | CDU | |
労働・社会大臣 | ![]() |
ノルベルト・ブリューム | CDU | |
国防大臣 | ![]() |
マンフレート・ヴェルナー | CDU | |
青年・家族・保健大臣 | ![]() |
ハイナー・ガイスラー | CDU | |
運輸大臣 | ![]() |
ヴェルナー・ドーリンガー | CSU | |
郵政コミュニケーション大臣 | ![]() |
クリスティアン・シュヴァルツ=シリンク | CDU | |
建設大臣 | オスカー・シュナイダー | CSU | ||
研究・技術大臣 | ![]() |
ハインツ・リーゼンフーバー | CDU | |
教育科学大臣 | ![]() |
ドロシー・ヴィルムス | CDU | |
経済協力大臣 | ![]() |
ユルゲン・ヴァルンケ | CSU |
脚注
出典
- ^ “転換 シュミットからコールへ Wende – von Schmidt zu Kohl”. ドイツニュースダイジェスト (2010年8月25日). 2025年9月10日閲覧。
- ^ Webb, Adrian (1998). The Longman companion to Germany since 1945. Internet Archive. London ; New York : Longman. pp. 112-114. ISBN 978-0-582-30736-0
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