第十二回使節
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:00 UTC 版)
1292年(正応5年・至元29年)、クビライから漂着した日本人の護送を機に日本側に服属を迫る国書を渡すよう命じられた高麗国王・忠烈王は、高麗人の太僕尹・金有成を正使に書状官・郭鱗らを日本へ派遣した。 日本に到着した金有成らは日本側によって鎌倉へ連行され、その後の様子は詳らかではない。なお、その後、高麗を訪れた日本僧の情報によれば「(金)有成、丁未(1307年)七月五日、病卒」 とあり、金有成が使節として日本に到着して以来、15年近く日本で生存していたことがわかる。
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