第十三次満洲興安東京荏原郷開拓団殉難者慰霊碑
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境内には、「第十三次満洲興安東京荏原郷開拓団殉難者慰霊碑」と彫られた慰霊碑がある。1943年(昭和18年)、武蔵小山商店街の関係者らによって満蒙開拓団の一団として「第十三次満洲興安東京荏原郷開拓団」が組織され、満州国興安総省興安街(現・中華人民共和国内モンゴル自治区ヒンガン盟ウランホト市)に入植した。 1945年(康徳12年・昭和20年)8月9日のソ連対日参戦で、興安街周辺は混乱状況に陥り、8月17日に暴徒の襲撃に遭遇、虐殺や集団自決で約800人が死亡した(双明子事件)。この碑は、辛うじて生還し、再び武蔵小山で店を開いた有志によって建てられたものである。
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