第二王国の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/03 16:21 UTC 版)
ブルグント人はその力をガリア南部、つまり現代のイタリア北部・スイス西部・フランス南東部へと拡大させていった。493年、フランク王国の王クロヴィスはブルグント人のクロティルダ(キルペリク2世の娘)と結婚した。クロティルダはクロヴィスをカトリック信仰へと改宗させた。 ブルグント人は6世紀初頭に西ゴート族に対抗するためにクロヴィスのフランク族と最初に同盟を結成したが、結局534年にフランク族によって滅ぼされた。その後はメロヴィング朝の一部としてブルグント人の王国が作られ、ブルグント人自身も同化していった。
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