第七章 昭和四十三年
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1959年12月30日、新日本窒素肥料(現・チッソ)は水俣病の責任を認めないまま、水俣病患者と家族でつくる「水俣病患者家庭互助会」と「見舞金契約」を結ぶ。見舞金は当時としても極端に低額であった。石牟礼は契約の条項を細かく記すとともに、企業ならびに政府の姿勢を厳しく批判した(『苦海浄土』が出版されてから4年後、熊本地裁は水俣病第1次訴訟判決で見舞金契約を「公序良俗に反する」として無効とした)。
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