笠岡への道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 05:38 UTC 版)
東城より備中国笠岡湊(岡山県笠岡市)に至る。 笠岡湊に至る手前の大戸(笠岡市東大戸)では、金ノ浦(笠岡市金浦)に至る別路も存在。笠岡湊から四国、金毘羅に向う道でもあり、東城側では笠岡往来、高山市往来(高山往来)などと呼ばれていた。また、笠岡・井原側では出雲大社に向う道でもあり、雲州街道、出雲街道などと呼ばれていた。 経路については時代による変化や別路の存在によって諸説あるものの、庄原市東城町より神石郡神石高原町に入り、油木 ‐ 豊松 ‐ 花済を経て岡山県高梁市に入り、杖立から高梁市と井原市とに跨る高山市(こうやまいち)に入り、井原市では千峯坂 ‐ 下鴫 ‐ 川相 ‐ 吉井 ‐ 井原 ‐ 山陽道(西国街道)七日市宿 ‐ 岩倉を経て笠岡市に入り、大戸 ‐ 小平井 ‐ 追分を経て笠岡および湊に至る経路が主に使われていたものと考えられている。 高山市は、高梁市川上町高山市と井原市芳井町東三原とに跨る集落地で、位置的に東城と笠岡のほぼ中間に位置していたため、かつては周辺地域の各地からの街道が集まり、成羽と並ぶ川上郡の商業集積地として、大正初期まで賑わっていた。大正初期以降は、東城 ‐ 笠岡間の本路が杖立 ‐ 高山市 ‐ 千峯坂 ‐ 下鴫の経路から、杖立 ‐ 西三原 ‐ 上鴫 ‐ 下鴫の経路(福山 ‐ 加茂 ‐ 広瀬 ‐ 山野からの平川往来 の一部)に移行し、高山市は衰退となる。
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