立憲王国時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/29 13:37 UTC 版)
1815年、当時ロシア帝国の一部でありながら自治権と独自の軍事力を有していたポーランド立憲王国にてモドリン要塞は発見された。それはポーランドとロシアの軍隊により管理されていたが脆弱であり、新たな建設工事はほとんど実施されなかった。ポーランドがロシアに反旗を翻した1830年の11月蜂起の際には、ポーランド軍によって要塞防衛が準備されたがロシア側がこれを襲撃することはなかった。1831年9月、要塞は蜂起の期間中にポーランド軍が支配していた最後の砦のひとつとして降伏した。
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