立て籠もりの発端
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/04 15:00 UTC 版)
「ラハダトゥ対立 (2013年)」の記事における「立て籠もりの発端」の解説
2012年10月7日にフィリピン大統領ベニグノ・アキノ3世によって発表されたフィリピン政府とモロ・イスラム解放戦線との間の和平協定の枠組み条件によって、スールー王国スルタンの相続人達は(自分達の権利主張が)排除されていると感じた。これを受けて、ジャマルル・キラム3世がスールー王座の正当継承者であると主張し、2012年11月11日に文民と軍の代表団が北ボルネオの領有権を主張するべきだとの布告を出した。彼は自分の弟でRaja Muda(「皇太子」を意味するマレー語)のアグビムディン・キラムをその一団の指揮役に任命した。 数か月後の2013年2月11日、フィリピン南部のタウィタウィ州シムヌル島から、アグビムディン・キラムと少なくとも101人の支持者がサバ州ラハダトゥ地区のタンドゥオ村に到着した。タンドゥオにいた約80人が家屋から逃げ出した。
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