稲垣昭央とは? わかりやすく解説

稲垣昭央

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/23 09:00 UTC 版)

 
稲垣 昭央
時代 江戸時代中期
生誕 享保16年11月29日1731年12月27日
死没 寛政2年5月17日1790年6月29日
改名 万次郎、昭央
別名 頼母、大蔵
墓所 群馬県伊勢崎市 天増寺
官位 従五位下和泉守対馬守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家重家治
志摩鳥羽藩
氏族 稲垣氏
父母 父・稲垣昭辰
母・カヨ(家女)
養父・稲垣昭賢
松浦誠信
長以長守三浦前次正室
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稲垣 昭央(いながき あきなか[1][2])は、江戸時代中期の大名志摩国鳥羽藩2代藩主[1][2]官位従五位下和泉守対馬守。鳥羽藩稲垣家6代。幼名・万次郎、通称・頼母、大蔵[1][2]

生涯

稲垣昭央の墓(群馬県伊勢崎市 天増寺)

享保16年(1731年)11月29日、稲垣昭辰(先々代稲垣重富の次男)の子として誕生[1]延享2年(1745年)6月3日、伯父の鳥羽藩主・稲垣昭賢の養子となる[2]。翌延享3年(1746年)12月18日従五位下和泉守[2]

宝暦2年(1752年)12月29日に昭賢が死去したため、翌年正月25日に家督を継いだ[1][2]。同時に対馬守に改める[2]

安永2年(1773年)7月22日に致仕して家督を長男の長以に譲る[2]寛政2年(1790年)5月17日に死去した[1][2]。60歳。

墓所は群馬県伊勢崎市天増寺[1][2]

系譜

父母

  • 父・稲垣昭辰
  • 母・カヨ(家女)[1]

正室・側室

子女

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 藩主人名事典編纂委員会 編『三百藩藩主人名事典』 3巻、新人物往来社、1987年4月10日、257頁。doi:10.11501/12190274ISBN 4-404-01402-3 (要登録)
  2. ^ a b c d e f g h i j 鳥羽市史編さん室 編『鳥羽市史』 上、鳥羽市、1991年3月25日、360頁。doi:10.11501/13133180 (要登録)




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