稲垣昭央
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/28 00:20 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動![]() | この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2018年11月) |
稲垣 昭央(いながき てるなか、享保16年11月29日(1731年12月27日)- 寛政2年5月17日(1790年6月29日))は、志摩鳥羽藩の第2代藩主。鳥羽藩稲垣家6代。
稲垣昭辰(先々代稲垣重富の次男)の子。正室は松浦誠信の娘。子に稲垣長以(長男)、稲垣長守(次男)、娘(三浦前次正室)。官位は従五位下、和泉守、対馬守。
生涯
宝暦2年(1752年)12月29日に先代藩主の伯父昭賢が死去したため、翌年正月25日に家督を継いだ。安永2年(1773年)7月22日に隠居して家督を長男の長以に譲り、寛政2年(1790年)5月17日に60歳で死去した。
|
固有名詞の分類
- 稲垣昭央のページへのリンク