科学的という問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:58 UTC 版)
「ニコラウス・コペルニクス」の記事における「科学的という問題」の解説
このようなコペルニクスの反論は、現代の科学史家にはまったく神秘的に見えた。科学史家の森島恒雄は「もしもコペルニクスが近代的な経験主義者であったならば、彼はおそらく彼自身の説より、プトレマイオス説を支持しただろう。なぜなら経験的であり、実際的である点においては、プトレマイオス説の方が却って優れていたからである」と言っている。「科学とは経験を重んじ、これを出てはならないものだ」とのみ考え、「誤謬・迷信と闘うには事実を重んじさえすれば良い」と考える限り、プトレマイオスの方が科学的だとしなければならなくなる。プトレマイオスが地動説を否定したのは慣性の法則を知らなかったからであって、その限りではまったく科学的であるとしなければならない。コペルニクスが褒められるのは運良く現代の学説と同じものを主張した限りであって、プトレマイオスが悪く言われるのは、事実を重んじたために現代の学説と一致しなかっただけだとしなければならない。本当はプトレマイオスの方が科学的だという評価が成り立つとする科学史家もいた。
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