秋田藩士 神長氏
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佐竹家臣として同氏の出羽国秋田転封に随行する者として神長光勝の名が見える。光勝は初め弥右衛門、後に対馬と名乗り、慶長7年(1602年)、佐竹義宣が秋田に転封されるとこれに随行し、平鹿郡横手に住まうという。元和元年(1615年)、大坂夏の陣にも出陣する。元和9年(1624年)上洛に随行するという。万治2年(1659年)没するという。また、光勝の子を弥右衛門光元といい、元禄3年(1690年)没した。光元の後は光直、久右衛門光近と続いた。この他、神長出雲、神長與右衛門光里の名も見える。
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