秋尾園とは? わかりやすく解説

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秋尾園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/09 03:21 UTC 版)

工部美術学校フォンタネージ送別写真。右端が秋尾園[1]

秋尾 園(あきお その、文久3年(1863年) - 1929年昭和4年)11月5日)は明治時代洋画家工部美術学校女子生徒6人の1人。写真師中島待乳と結婚し、幻灯機製作に携わった。

生涯

文久3年(1863年)沼田藩士秋尾利義とマツの三女として生まれた[1]。1873年(明治6年)父利義は陸軍士官学校で馬術を教えたが、同僚に洋画家川上冬崖小山正太郎がおり、ここで洋画と接点を持ったと思われる[2]。また、浮世絵を学んだ形跡もあり[1]フェリス女学校英語を学んだこともあった[2]

1876年(明治9年)12月14日工部美術学校に女子入学規定ができると間もなく入学し、幾何学遠近法・飾画(かざりえ)・論理影法・模写・写生等を学んだ[1]。他の女子生徒には山下りん神中糸子、大鳥雛、山室政、川路花がいたが、園は最年少で、1877年(明治10年)の「画学生進歩表」では第二級の成績を収めている[1]

1880年(明治13年)写真師中島待乳と結婚し、退学した[1]。結婚後は待乳の幻灯機製造を助け、彩色・下絵の製作に従事した[1]。晩年は牛込区弁天町に住み、1929年(昭和4年)11月5日死去し、多磨霊園に葬られた[2]。戒名は順福院勧善玅貞日園大姉[2]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 金子 2007, pp. 370–373.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 金子 2015, pp. 8–10.

外部リンク

参考文献

  • 金子一夫「工部美術学校女子生徒秋尾園資料の研究」『鹿島美術財団年報』第25号、鹿島美術財団、2007年。 
  • 金子一夫「秋尾園と工部美術学校」『近代画説』第24号、明治美術学会、2015年。 
  • 遠藤みゆき「中島待乳と幻灯」『東京都写真美術館紀要』第15号、東京都歴史文化財団東京都写真美術館、2016年。 



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