福井覚治
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福井 覚治(ふくい かくじ、1891年5月11日 - 1930年4月13日[1][2])は、日本のゴルフ選手。日本初のプロゴルファーである[2]。
注釈
- ^ 武藤一彦によれば、覚治は青木の生まれで、福井家は庄屋を務めていたという[5]。
- ^ 青木五丁目の八坂神社の玉垣に名が刻まれている[7]。
- ^ 後述の室内練習場が「生家に近い」とある[8]。
- ^ 甲南ゴルフ倶楽部(横屋コース)の最寄駅は青木駅と案内されていた[9][10]。
- ^ 望月(2004年)では姓を「安倍」としているが[6]、『日本スポーツ人名辞典 昭和8年版』[17]や『人事興信録』[18]によれば「安部」が正しい。
- ^ 武藤一彦の文章では「クラブハウスの向かい」に小屋を建てて工房とし、その隣に雨天練習場を設けたとある[12]。
- ^ 土地所有者であった鈴木商店が工場拡張を計画し[11]、返却を求めたため[19]。
- ^ 1920年(大正9年)には、横屋・鳴尾のゴルフアソシエーションを継承する形で鳴尾ゴルフ倶楽部が設立された[12]。
- ^ 舞子カンツリー倶楽部は昭和戦前期に解散し、ゴルフコースはパブリックコースになっていたが、戦後に倶楽部を再建したものが現在の垂水ゴルフ倶楽部である。
- ^ イギリス人プロゴルファーのグリーンとともに[21]。その後コースには変更が加えられている[21]。
- ^ 青木出身[34]。
出典
- ^ a b c “福井覚治”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “福井 覚治”. 20世紀日本人名事典. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b c d “福井覚治”. 日本プロゴルフ殿堂. 2021年8月25日閲覧。
- ^ “今昔マップ on the Web”. 2022年5月9日閲覧。
- ^ a b 武藤一彦 (2014年12月22日). “日本で二番目の横屋コースとプロ第一号・福井覚治”. 武藤一彦の日本ゴルフトーナメント100年. GOLF報知. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 望月浩 2004, p. 6.
- ^ a b 望月浩 2004, p. 5.
- ^ a b c d e 望月浩 2004, p. 7.
- ^ 『全国ゴルフ場案内 : 日本ゴルフ年鑑 昭和12年版』(ゴルフドム社、1937年)p.38
- ^ 『全国ゴルフ場案内 : 日本ゴルフ年鑑 昭和13年版』(ゴルフドム社、1938年)p.38
- ^ a b c d e “ゴルフをこよなく愛したウィリアム・ジョン・ロビンソン”. 特集 ゴルフ場の100年. 日本ゴルフ協会. 2022年3月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 武藤一彦 (2015年1月19日). “プロゴルファーの誕生とプロ第一号・福井覚治の波乱万丈の人生”. 武藤一彦の日本ゴルフトーナメント100年. GOLF報知. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b c d 武藤一彦 (2014年11月26日). “20世紀のスタートと日本初のゴルフコース誕生”. 武藤一彦の日本ゴルフトーナメント100年. GOLF報知. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 武藤一彦 (2015年7月3日). “プロトーナメント100年~草創期に生まれた名手たち~中上数一(かずいち)、時代を越えて活躍した流浪の男の華やかな人生”. 武藤一彦の日本ゴルフトーナメント100年. GOLF報知. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 武藤一彦 (2015年2月12日). “1926年 第1回日本プロ選手権始まる ニッカポッカ6人のレジェンドたち”. 武藤一彦の日本ゴルフトーナメント100年. GOLF報知. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b c d e f 武藤一彦 (2015年4月28日). “優勝スコアを出しながら失格、2位になったのに19打差、何かおかしい越道政吉の輝かしきゴルフ人生”. 武藤一彦の日本ゴルフトーナメント100年. GOLF報知. 2021年8月25日閲覧。
- ^ 日本スポーツ協会 1933, p. アの部1.
- ^ “安部成嘉 (第8版[昭和3(1928)年7月] の情報)”. 『人事興信録』データベース. 2023年4月30日閲覧。
- ^ a b “ジョー・クレーン”. 芦屋市. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b “ロビンソンの遺志を受け継いだ南郷三郎”. 特集 ゴルフ場の100年. 日本ゴルフ協会. 2022年3月26日閲覧。
- ^ a b c d e “舞子カンツリー倶楽部時代”. 垂水ゴルフ倶楽部. 2022年3月26日閲覧。
- ^ 望月浩 2004, pp. 6–7.
- ^ a b c 武藤一彦 (2015年4月28日). “日本初のオープン競技 関西オープンはトップアマに厳しくプロに甘かった”. 武藤一彦の日本ゴルフトーナメント100年. GOLF報知. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b c 武藤一彦 (2015年3月6日). “日本最古のプロトーナメント・日本プロ”. 武藤一彦の日本ゴルフトーナメント100年. GOLF報知. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b c d e 武藤一彦 (2015年2月4日). “日本初のプロトーナメント「日本選手権」の誕生”. 武藤一彦の日本ゴルフトーナメント100年. GOLF報知. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b c 赤坂厚. “「今年プロゴルファー誕生100年」の奥深い歴史”. 東洋経済新報社. 2022年3月26日閲覧。
- ^ “俱楽部の歴史”. 2022年5月9日閲覧。
- ^ “【別府ゴルフ倶楽部】九州では雲仙に次ぐ2番目の歴史をもつ。日本人最初のプロ、福井覚治も設計に携わった”. ゴルフへ行こうweb. ゴルフダイジェスト. 2022年5月9日閲覧。
- ^ “【別府ゴルフ倶楽部】1930年開場 九州2番目の歴史持つ名門で「全英気分」”. 西日本スポーツ (2019年2月8日). 2022年5月9日閲覧。
- ^ a b 武藤一彦 (2015年7月3日). “~草創期に生まれた名手たち~ 中上数一、第2回関西オープンで史上最強アマの赤星六郎を破る”. 武藤一彦の日本ゴルフトーナメント100年. GOLF報知. 2021年8月25日閲覧。
- ^ 武藤一彦 (2015年3月26日). “プロアマが同じ土俵で争う日本初のオープン戦、「関西オープン」の誕生”. 武藤一彦の日本ゴルフトーナメント100年. GOLF報知. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b c “プロゴルファー生誕100年!”. PGA Report 116 (2015年4月). 2022年3月26日閲覧。
- ^ a b “第5回日本プロゴルフ選手権(1930年)”. 日本ゴルフ殿堂 (2014年10月6日). 2022年5月9日閲覧。
- ^ “幸運も後押し? 19打差の記録的優勝/残したいゴルフ記録”. ゴルフダイジェスト. 2022年3月26日閲覧。
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