祥雲寺_(宮古島市)とは? わかりやすく解説

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祥雲寺 (宮古島市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:18 UTC 版)

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祥雲寺
所在地 沖縄県宮古島市平良西里4
位置 北緯24度48分25.7秒 東経125度16分50.6秒 / 北緯24.807139度 東経125.280722度 / 24.807139; 125.280722座標: 北緯24度48分25.7秒 東経125度16分50.6秒 / 北緯24.807139度 東経125.280722度 / 24.807139; 125.280722
山号 龍峰山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 不動明王
創建年 万暦39年(1611年
開山 山月和尚
開基 平良大首里大屋子
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祥雲寺(しょううんじ)は、沖縄県宮古島市にある臨済宗妙心寺派寺院

歴史

1611年万暦39年)、山月和尚によって開山された。1590年(万暦18年)、平良大首里大屋子(「大首里大屋子」は琉球王府から任命される代官)は首里から帰る途中、嵐に遭い、朝鮮に流れ着いてしまった。言語が通じないので、海賊に誤解され処刑されようとしたとき、「琉球」の二文字を書いたことで、始めて琉球人だったことか分かり釈放され、後に首都北京経由で琉球に帰国することができた。帰国後、神に感謝して波上大権現(現・波上宮)から熊野権現を勧請し、奉安した。これが当寺と宮古神社の起源である[1][2]

その後、1611年(万暦39年・慶長16年)に琉球侵攻後の検地のために来島した薩摩藩の役人が琉球国王に上奏し、正式な寺院と神社になった。1685年康熙24年)に住職の3年交代制(輪番)が定められた[2]

1879年明治12年)の琉球処分後は、地元住民らの経費で賄われる「公寺」となり、1911年(明治44年)に寺院自身が自活する「私寺」に移行した[2]

文化財

  • 祥雲寺の石垣(宮古島市指定史跡 昭和50年12月11日指定)[3]

交通アクセス

脚注

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  1. ^ 赤瓦屋根がお目見え/新宮古神社が完成 25日に正遷座祭宮古毎日新聞
  2. ^ a b c 沖繩大百科事典刊行事務局 編『沖繩大百科事典 中巻:ケ-ト』沖縄タイムス社、1983年、409-410p
  3. ^ 史跡1~25宮古島市

参考文献

  • 沖繩大百科事典刊行事務局 編『沖繩大百科事典 中巻:ケ-ト』沖縄タイムス社、1983年



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