神津猛とは? わかりやすく解説

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神津猛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/21 04:31 UTC 版)

神津猛

神津 猛(こうづ たけし、1882年 - 1946年6月21日)は、日本の実業家考古学研究者。

経歴

長野県北佐久郡志賀村(現佐久市)生まれ。生家は信州で指折りの豪農であった神津家の「赤壁家」である。明治32年(1899年)慶應義塾幼稚舎を卒業して帰郷。祖父の包重が始めた報徳会(のち農業会)を中興して、農村指導や地方自治にあたる。明治40年(1907年)から村政に関与し、大正6年(1917年)志賀村長に就任、その他、北佐久郡会議員、上田の中信銀行頭取、佐久鉄道の重役を務めた。昭和5年(1930年)信濃銀行破綻に際しては私財を投じて支払いに当たった。

島崎藤村田山花袋高浜虚子らと交流があり、藤村の『破戒』の自費出版費用を提供し、その後も支援を続けた[1]。また考古学にも興味を持ち、明治37年(1904年)東京人類学会に入会し[2]、同学会誌への報告や、長野県内の考古遺跡の調査を開始し、また昭和4年(1929年)には信濃考古学会を設立、自費で「信濃考古学会雑誌」を発刊した[3]。同7年(1932年)廃刊[4]長野県立歴史館に「神津コレクション」が収蔵されている。

係累

脚注

  1. ^ 杉山(2022) p.177
  2. ^ 杉山(2022) p.184
  3. ^ 杉山(2022) p.191
  4. ^ 杉山(2022) p.206

参考文献

  • 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年
  • 『長野県姓氏歴史人物大辞典』角川書店、1996年
  • 杉山博久『「瓦礫」を追った人びと 黎明期考古学界の先達たち』雄山閣、2022年

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