天祖神社 (大田区山王)とは? わかりやすく解説

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天祖神社 (大田区山王)

(神明山天祖神社 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/14 04:24 UTC 版)

天祖神社

拝殿
所在地 東京都大田区山王2-8-2
位置 北緯35度35分18.6秒 東経139度43分36.8秒 / 北緯35.588500度 東経139.726889度 / 35.588500; 139.726889座標: 北緯35度35分18.6秒 東経139度43分36.8秒 / 北緯35.588500度 東経139.726889度 / 35.588500; 139.726889
主祭神 天照皇大神宮
神体 鏡、御神木
社格 神明社、稲荷社
創建 不詳
本殿の様式 社殿配置(拝殿幣殿一体、本殿)
別名 八景天祖神社、神明山天祖神社
札所等 天祖神社社務所内
例祭 元旦祭、初午祭、大祓式
主な神事 例大祭
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八景坂鎧掛松

天祖神社(てんそじんじゃ)は、東京都大田区氏神神社。現在では八景天祖神社(はっけいてんそじんじゃ)、一昔前では神明山天祖神社(しんめいやまてんそじんじゃ)とも。

現在は、品川区南大井にある天祖・諏訪神社本務社)の兼務社である。

概要

創建年代は、言い伝えによると、江戸時代に地元の名士であった皆川家が神社創建のため、土地を提供したと言われている。元々は「神明社」という名称であり、旧別当寺は、近くの円能寺である[1]

かつて「鎧掛松」というがあったと言い伝えられている。源義家の軍勢が後三年の役出征のために進軍中、当社で戦勝を祈願した。その際、松の枝にをかけた故事からきている。歌川広重の「八景坂鎧掛松」という題材になる程の有名な松であったが、明治時代に枯れてしまい、現在は存在しない[2]。現在、鎧掛松があったとされる最も有力な地点は大森八景坂地区の大森駅北口周辺と言われている。

かつて大森八景園とは崖地を介して隣接しており、今もなおその名残が残っている。

八景児童遊園は1936年(昭和36年)八景天祖神社宮司の意向により、境内地の一部(436.96㎡)を東京都大田区へ毎年の更新という形で無償提供されているものである。

平成3年6月、公衆用道路整備のため、八景天祖神社登記名義人の宮司が境内地の一部を東京都大田区に寄付する。

令和7年1月、八景天祖神社階段が「景観資源【坂道】[3]」に大田区より追加指定される。

交通アクセス

脚注

  1. ^ 新倉善之 著『大田区史跡散歩 (東京史跡ガイド11)』学生社、1992年、15-16p
  2. ^ 八景坂大田区役所
  3. ^ 市街地類型図・景観資源及び景観形成重点地区図”. www.city.ota.tokyo.jp. 2025年4月10日閲覧。

参考文献

  • 新倉善之 著『大田区史跡散歩 (東京史跡ガイド11)』学生社、1992年

関連項目




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