神奈川・程ヶ谷接続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 04:02 UTC 版)
「平沼駅 (国鉄)」の記事における「神奈川・程ヶ谷接続」の解説
日清戦争が終結すると、軍事需要は下火になった。しかし、当時国有鉄道を運営していた逓信省鉄道局では、これを機に東海道のメインルートをこの短絡線経由に変更しようと目論んだ。 だが、横浜財界の有力者によって構成された横浜商工会議所が、その方針を聞くや否や猛反対し、再三にわたる陳情を行った。列車の発着本数が減少すれば、港に荷物がたまってしまうだろうとして、恐れたのである。 しかし横浜駅はスイッチバックの問題に加え、発着列車の増加により手狭になりつつあるという状況にも陥っており、貨物が数ヶ月も滞留して雨ざらしになるという有様だった。結局鉄道局は意志を曲げず、1898年(明治31年)8月1日より一部の旅客列車と貨物列車に関しては短絡線を走らせるようになり、横浜駅を経由しなくなった。横浜市街との連絡は、下り列車については横浜駅 - 神奈川駅(東神奈川駅 - 横浜駅間にあった駅で、1928年廃止)間、上り列車については程ヶ谷駅(後、保土ケ谷駅と改称) - 横浜駅間に接続列車を走らせることで対応していた。
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