祖茂
(?~?) |
||
初平二年(一九一)、祖茂は孫堅の梁城進出に随従したが、城の東方に布陣したとき董卓の大軍に包囲され、孫堅はわずか数十騎を率いて重囲を脱出した。董卓軍の騎兵が彼を追いかけて来たので、祖茂は孫堅が常用していた赤い幘(頭巾)をかぶり、敵をおびき寄せた。こうして孫堅は間道伝いに逃げ延びることができた。祖茂は敵に追い詰められると馬を下り、幘を墳墓の焼けぼっくいに引っかけ、自分は草むらのなかに身をひそめた。董卓の騎兵は赤い幘を遠くから眺め、幾重にも取り巻いたが、それが焼けぼっくいとわかると兵を退いた。 『演義』では字を大栄、呉郡富春県の人とし、このとき草むらから飛び出して敵将華雄に襲いかかったが、返り討ちに遭って殺されたことになっている。 |
祖茂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/21 20:22 UTC 版)
祖 茂(そ も/そ ぼう、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。
概要
董卓討伐戦に孫堅が参加したとき、これに従軍した。孫堅が董卓軍の徐栄に敗れて逃走した際、彼の赤い頭巾を被って囮となった。董卓軍の騎兵が祖茂を追いかけたので、孫堅は助かったという。祖茂は逃げ場を失うと馬から飛びおり、頭巾を焼けぼっくいに被せて草むらに身を伏せた。董卓の騎兵は遠巻きに取り囲んだが、近付いて初めて焼けぼっくいであると知り立ち去った(『三国志』孫堅伝)。その後の動向は不明である。
演義
小説『三国志演義』では、呉郡富春県の人で字は大栄とされ、二刀流の使い手という設定である。孫堅を追撃したのは董卓軍の華雄と設定されており、華雄が焼けぼっくいから頭巾を取り上げたとき、祖茂は木陰から飛びだして華雄に襲いかかったが、返り討ちにあって一太刀で殺されてしまっている。
- >> 「祖茂」を含む用語の索引
- 祖茂のページへのリンク