祈祷文本文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 17:16 UTC 版)
以下は、日本正教会で聖体礼儀に用いられている祈祷文である。日本正教会発行の『時課經』(時課経)に拠ったが、一部、旧字体を簡略化するなどしている。 主や 爾(なんじ)の國(くに)に来(きた)らんとき 我等を記憶(おも)ひ給(たま)へ 心の貧しき者は福(さいはひ)なり 天國(てんごく)は彼等(かれら)のものなればなり 泣く者は福(さいはい)なり 彼等は慰めを得(え)んとすればなり 温柔(おんじゅう)なる者は福(さいはい)なり 彼等は地を嗣(つ)がんとすればなり 義(ぎ)に飢(う)え渇(かわ)く者は福(さいはい)なり 彼等は飽(あ)くを得んとすればなり 矜恤(あはれみ)ある者は福(さいはい)なり 彼等は矜恤(あはれみ)を得んとすればなり 心(こころ)の清(きよ)き者は福(さいはい)なり 彼等は神(かみ)を見んとすればなり 和平(わへい)を行う者は福(さいはい)なり 彼等は神の子と名(なづ)けられんとすればなり 義のために窘逐(きんちく)せらるる者は福(さいはい)なり 天國(てんごく)は彼等(かれら)のものなればなり 人(ひと) 我(わ)が為(ため)に汝(なんじ)らをののしり汝等(なんじら)を窘逐(きんちく)し汝等(なんじら)の事をいつはりて諸(もろもろ)の悪(あ)しき言葉を謂(いは)ん時 汝等(なんじら)福(さいはい)なり 喜(よろこ)び楽(たのし)めよ 天には汝等(なんじら)の報賞(むくい) 多ければなり — 時課經(日本正教会・明治17年7月初版、平成10年11月20日再版)
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