石田軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 22:45 UTC 版)
豊臣秀吉の股肱石田三成や、毛利軍などの軍。児玉就英や乃美宗勝や因島亮康は山賊として、井上春忠は姜維軍として、毛利勝永や小早川秀秋はねね軍として別行動をとり、いずれも趙雲・島津・真田軍に合流する。遠呂智軍に従い各地を転戦しながらも、内部で遠呂智に対抗するための力を蓄え、襄陽では主君である豊臣秀吉と接触するが、前述の策を完遂するためか秀吉のもとに戻らない。同じ事を企てる魏の監視を妲己に任されて以来行動を共にし、手取川で剣豪・南蛮軍と交戦。後に不満を抱いた長束正家と毛利輝元を織田・黄忠軍に奪われたが、後から本人達も遠呂智軍より離反する。曹魏の再興に合わせて大谷吉継や吉川広家、蒲生郷舎、山内一豊も離反・参入する。
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