石川三郎_(政治家)とは? わかりやすく解説

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石川三郎 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/16 07:34 UTC 版)

石川三郎

石川 三郎(いしかわ さぶろう、1881年明治14年)5月19日[1][2] - 1940年昭和15年)12月10日[1][2][3])は、明治後期から昭和前期の陸軍軍人政治家貴族院多額納税者議員衆議院議員立憲政友会)、佐賀県砥川村長

経歴

佐賀県小城郡砥川村柳鶴[2](現在の江北町)出身。大地主・石川源蔵の三男として生まれる[2]。砥川小学校[2]佐賀県立佐賀中学校を卒業[1]1900年(明治33年)、陸軍士官学校に入学し[1]1901年(明治34年)11月22日に卒業[4](13期[5])し、1902年(明治35年)6日23日[4]砲兵少尉に任じられた。日露戦争に従軍し、砲兵中尉に昇進。1906年(明治39年)陸軍砲工学校に入学し、1908年(明治41年)に同校高等科を卒業して砲兵大尉に任ぜられた。その後、陸軍重砲兵射撃学校や陸軍士官学校で教官を務めたが、1913年大正2年)2月18日に予備役となった[1][6]

その後、砥川村会議員、佐賀県会議員を経て、1920年(大正9年)の衆議院補欠選挙で当選した[7]1925年(大正14年)佐賀県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され同年9月29日に就任し[8]1932年(昭和7年)に再選された[9]。同年、砥川村長に就任し、8年間にわたって農村の振興に尽力した。1939年(昭和14年)9月28日、貴族院議員に2期在任し任期満了で退任した[3]

脚注

  1. ^ a b c d e 「故石川三郎位階追陞ノ件」
  2. ^ a b c d e 『佐賀県大百科事典』33頁。
  3. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』186頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』175頁。
  5. ^ 『陸軍士官学校』233頁。
  6. ^ 『官報』第165号、大正2年2月19日。
  7. ^ 『官報』第2470号、大正9年10月25日
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、35頁。
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、42頁。

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙) 昭和十三年十二月増訂』貴族院事務局、1938年。 
  • 故石川三郎位階追陞ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11114992800 
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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