石原新党構想
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2011年12月8日、亀井代表・下地幹事長が国民新党を解党し新党結成を目指す考えを表明したが、12月14日の議員総会で新党構想を森田副幹事長が批判(ただし亀井亜紀子が新党構想ではなく郵政法案の扱いによる批判であったとブログで説明している)。2012年1月25日、亀井代表が石原慎太郎東京都知事、たちあがれ日本の平沼赳夫代表らと共に3月中にも新党を結成するとの報道が流れた。この新党構想は石原知事を党首とするもので、国民新党とたちあがれ日本の参加を前提としていた。2月7日、亀井代表は党所属国会議員や綿貫最高顧問らに新党構想を説明し、党としての参加への理解を求めた。しかし、後述の党内分裂により、新党構想は頓挫することとなる。
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