相馬義胤 (二代当主)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 相馬義胤 (二代当主)の意味・解説 

相馬義胤 (二代当主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/13 15:20 UTC 版)

相馬 義胤(そうま よしたね、生没年不詳)は鎌倉時代の武将。千葉氏の庶流相馬氏二代当主。父は相馬師常鎌倉幕府御家人。五郎。兵衛。別名に能胤(読み同じ。尚、「義」の字は鎌倉幕府執権北条義時から偏諱を賜ったものと思われる)。子に胤綱(たねつな)、女子(岩松氏祖・岩松時兼妻)(異説あり)。

建仁元年(1201年)、父の師常が隠居したために家督を継ぐ。元久元年(1204年)、畠山重忠の乱が起こると、重忠と縁戚関係(義胤の祖母は重忠の叔母)であったにもかかわらず、北条義時に与して重忠を討った。この功により、陸奥国の一部(高城保)を地頭職として任されている。

承久3年(1221年)、承久の乱が起こると子の胤綱と共に(孫の相馬胤継(たねつぐ)もいたとも)幕府軍として参陣して、宇治川の戦いや近江瀬田橋の戦いで活躍して、軍功を挙げた。

その後も御家人として幕府に忠実に仕え、越後大和にも所領を得ていた。

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「相馬義胤 (二代当主)」の関連用語

相馬義胤 (二代当主)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



相馬義胤 (二代当主)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの相馬義胤 (二代当主) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS