相馬盛胤 (十三代当主)とは? わかりやすく解説

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相馬盛胤 (十三代当主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/22 08:21 UTC 版)

 
相馬盛胤
時代 戦国時代
生誕 文明8年(1476年)又は文明2年(1470年
死没 永正18年7月7日1521年7月23日
改名 定胤(初名)→盛胤
別名 孫次郎
墓所 新祥寺(福島県南相馬市
官位 従四位下大膳大夫
氏族 相馬氏
父母 父:相馬高胤
正室:蘆名盛舜
顕胤、堀内近胤、黒木胤乗
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相馬 盛胤(そうま もりたね)は、戦国時代武将大名相馬氏13代当主。陸奥国行方郡小高城主。

経歴

文明8年(1476年)、相馬氏12代当主・相馬高胤の子として生まれる。はじめ「定胤」と名乗った。

延徳4年(1492年)6月11日、父・高胤が標葉隆成との戦いの最中に陣没する。盛胤は家督を相続するとただちに態勢を立て直して標葉氏との合戦を再開し、同年(改元して明応元年)12月、標葉氏の居城・権現堂城を攻め落として滅ぼし、標葉郡全域と楢葉郡のうち富岡城(富岡町)、木戸城(楢葉町)を支配下に収めた[1]

永正18年(1521年)7月7日、死去。嫡男・顕胤が跡を継いだ。

脚注

  1. ^ その後、この2城は岩城氏によって攻略されたが、大永4年、嫡男の顕胤が再び取り返したとされている。『姓氏家系大辞典、第2巻 富岡 5』 - 国立国会図書館デジタルコレクション



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