相良清兵衛屋敷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/01 07:03 UTC 版)
頼兄の屋敷は、通称「御下(おしも)」と言い、相良清兵衛事件(=御下の乱)の際に、田代半兵衛(犬童半兵衛)が藩主から誅殺されるのを恐れて叛乱を起こし、屋敷に立て籠もって戦った末に火を放ったために焼失した。 後年、その遺構から地下室が発見された。絵図によると、屋敷内にあった2階建ての「持仏堂」と書かれた位置から発見されており、地下室の構造は、石積みの階段、踊り場、長方形の井戸、黒い小石敷き、その下にスギ板が敷かれていたが、これとほぼ同じものが、嫡子・頼安の屋敷内の蔵に当たる位置からも発見されている。井戸を持つ地下室の発見例は世界的に例がなく、またこの地下室が作られた目的はいまだ解明されていない。 現在、屋敷跡には「人吉城歴史館」が建設されており、地下室も建造当初の形に復元され、上から覗き見ることが可能となっている。
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