相模川流路の検証
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 23:55 UTC 版)
橋脚の位置は、現在流れている相模川の流路から東側へ約2.5キロメートルの位置にある。この橋が確認されたことにより、中世における相模川は現在よりかなり東方を流れていて、氾濫や地震による流路の変遷を経て現位置へ移動したものと推定されている。右に震災前の相模川、小出川、千の川の状況を示した。震災で土地が隆起し、北東(右上)から相模川へ流入する千の川は河口を失って大きな沼地(現在の浜見平団地の所)を作った。柳島村は161反歩もの新たな耕作地を得、幕末より続いた藤間温泉の湧泉量は激減した。このように大地震が発生するたびに、相模川はその流路を変えてきた。しかし、この橋脚が作られた当時の流路の全体は明確でなく、この橋が相模川の本流・支流とどのような関係にあったかは研究段階である。
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