目賀田綱美とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 目賀田綱美の意味・解説 

目賀田綱美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/30 20:23 UTC 版)

目賀田 綱美(めがた つなよし、1896年明治29年)11月17日[1] - 1969年昭和44年)2月25日[1])は、日本におけるタンゴの紹介者である。

生涯

1896年に、専修大学の創立者の一人で男爵目賀田種太郎の息子に生まれる。母・逸子は勝海舟の三女である。

1920年に、パリに遊学する。バロン・メガタ(Baron Mégata)といわれ、パリの社交界で名を上げる。当時、フランスで流行していたタンゴの熱心な愛好家となる。1926年[いつ?]に、日本に帰国する。そのとき、パリで親交を深めた早川雪洲から選別として贈られたタンゴのSPレコード12枚を持って帰国したが、これが日本に持ち込まれた初のタンゴのレコードであった[2]。この逸話は日本の社交ダンスで画期的なこととして語り継がれている。

1969年に死去する。

高橋克彦の小説『バンドネオンの豹』の目賀田豹祐のモデルとされている。

1981年に、タンゴ歌手のエドムンド・リベロが作曲し、ルイス・アルポスタが、目賀田綱美をイメージとして作詞したタンゴの曲『ア・ロ・メガタ』が発表されている。

脚注

  1. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』下巻、720頁。
  2. ^ 生明俊雄『タンゴと日本人』p.63 ISBN-13: 978-4087210439

参考文献

日本の爵位
先代
目賀田種太郎
男爵
目賀田(種太郎)家第2代
1926年 - 1947年
次代
華族制度廃止



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「目賀田綱美」の関連用語

目賀田綱美のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



目賀田綱美のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの目賀田綱美 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS