皇室系譜のヒ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 09:47 UTC 版)
天皇家の始祖タカミムスヒの他に、天皇系譜の始点に位置するカチハヤヒ(正勝吾勝勝速日天忍穂耳)が伝説時代の系譜に見られる。また6世紀から7世紀にかけてヒ(日)が天皇の諡号(おくりな)に4例のみ再びみられる。 天皇名諡号(おくりな)安閑天皇 広国押建金日(ひろくにおしたけかなひ) 用明天皇 橘豊日(たちばなのとよひ) 舒明天皇 息長足日広額(おきながたらしひひろぬか) 皇極天皇、斉明天皇 天豊財重日足姫(あめとよたからいかしひたらしひめ) 孝徳天皇 天万豊日(あめよろずとよひ) 天皇は「ヒ嗣ぎの御子」と呼ばれているように、「ヒ」の子孫は天の支配を受け継ぐものと伝承されている。こうした観点から見ると、6-7世紀の天皇名のヒの用例は「ヒ」を復古的に「国家的信仰として掲げようとしていた時期の一つの名残り」であり、敏達天皇による日祀部の設置や姓氏録における各氏族に「ヒ」の始祖が加工された時期と重なる。
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