白鳥陵古墳とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 白鳥陵古墳の意味・解説 

はくちょう‐りょう〔ハクテウ‐〕【白鳥陵】

読み方:はくちょうりょう

しらとりのみささぎ(白鳥陵)


軽里大塚古墳

(白鳥陵古墳 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/15 01:45 UTC 版)

軽里大塚古墳

墳丘全景(右に前方部、左奥に後円部)
別名 前の山古墳/白鳥陵古墳
所属 古市古墳群
所在地 大阪府羽曳野市軽里3丁目
位置 北緯34度33分4.33秒 東経135度36分13.78秒 / 北緯34.5512028度 東経135.6038278度 / 34.5512028; 135.6038278 (軽里大塚古墳(伝日本武尊陵))座標: 北緯34度33分4.33秒 東経135度36分13.78秒 / 北緯34.5512028度 東経135.6038278度 / 34.5512028; 135.6038278 (軽里大塚古墳(伝日本武尊陵))
形状 前方後円墳
規模 墳丘長190m
高さ23m
出土品 埴輪
築造時期 5世紀後半
被葬者 宮内庁治定)日本武尊
陵墓 宮内庁治定「白鳥陵」
史跡 国の史跡「白鳥陵古墳周堤」
(「古市古墳群」に包含)
特記事項 全国第36位の規模
(墳丘長200mとする場合)[1]
テンプレートを表示
3DCGで描画した軽里大塚古墳

軽里大塚古墳(かるさとおおつかこふん)は、大阪府羽曳野市軽里にある古墳。形状は前方後円墳古市古墳群世界文化遺産)を構成する古墳の1つ。

実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「白鳥陵(しらとりのみささぎ)」として日本武尊景行天皇皇子、仲哀天皇父)の陵に治定されている。また周堤は国の史跡に指定されている(史跡「古市古墳群」のうち)[2]

別称を「前の山古墳」や「白鳥陵古墳」とも。羽曳野市の名前の由来となった古墳である。

概要

古市古墳群の南部、墓山古墳の南、白髪山古墳の北東に位置する。全長約190m、後円部径約106m、高さ約20m、前方部幅約165m、高さ約23mで、古市古墳群で7番目の大きさである。墳丘は三段築成で前方部を西に向け、北側のくびれ部には造り出しがある。周囲には幅約35mの周濠と上面幅21mの堤がめぐらされている。

主体部や副葬品については不明である。1981年の発掘調査で、後円部の円筒埴輪列が確認されたほか、朝顔形埴輪や家、蓋などの形象埴輪が出土した。これらの出土品や、前方部幅が後円部径に比べて約1.5倍もあるという墳形上の特徴から、古市古墳群では市ノ山古墳とほぼ同時期、5世紀後半の築造と推定されている。

2021年に周堤が国の史跡に指定されている(史跡「古市古墳群」への追加指定)[2]

アクセス

近鉄南大阪線古市駅より白鳥交差点を経て西に徒歩約10分

脚注

  1. ^ 古墳大きさランキング(日本全国版)(堺市ホームページ、2018年5月13日更新版)。
  2. ^ a b 令和3年3月26日文部科学省告示第48号。

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、軽里大塚古墳に関するカテゴリがあります。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「白鳥陵古墳」の関連用語

白鳥陵古墳のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



白鳥陵古墳のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの軽里大塚古墳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS