疾病蔓延と火船攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/25 16:30 UTC 版)
「チュニス湖の戦い」の記事における「疾病蔓延と火船攻撃」の解説
シリウスが日没時に水平線に見え始める頃(7月27日頃)、ケンソリヌスの軍営に疫病が蔓延し始めた。城壁によって新鮮な海から風が遮られていることが原因と考えた彼は、軍船を海に移動させることにした。これを見たカルタゴ軍は、小舟に可燃物を載せ、火を放ってローマ艦隊に向けて押し出した。風はローマ艦隊に向かって吹いていたため、作戦は成功しローマの軍船の大部分は破壊された。この後ケンソリヌスは選挙を監督するためローマに戻ったが、マニリウスは残った。カルタゴ軍はマニリウスに対してより大胆に圧力をかけ始めた。彼らは夜になると、ある者は武器を持って、ある者は武器を持たずに、ローマ軍野営地の濠を渡るための板を持って突進し、城柵を破壊した。夜間の攻撃で混乱が生じると、アエミリアヌスは戦闘が行われている反対側の門から騎兵を率いて出撃し、カルタゴ軍の背後をつく動きを見せた。挟撃を恐れたカルタゴ軍は城内に引き上げた。アエミリアスは再びローマ軍を救った。
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