田代茂樹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/08 07:00 UTC 版)
|
たしろ しげき
田代 茂樹
|
|
|---|---|
| 生誕 | 1890年12月5日 |
| 死没 | 1981年8月8日(90歳没) |
| 出身校 | 明治専門学校(現・九州工業大学)機械工学科 |
| 職業 | 実業家 |
| 親戚 | 田代三千稔(弟) |
| 受賞 | 科学技術庁長官賞[1] |
| 栄誉 | 藍綬褒章 勲二等旭日重光章 勲一等瑞宝章[1] |
田代 茂樹(たしろ しげき、1890年〈明治23年〉12月5日 - 1981年〈昭和56年〉8月8日)は、日本の実業家。東洋レーヨン(現・東レ)社長、日本化学繊維協会会長、日本腎臓財団初代会長、福岡県人会第三代会長などを務めた。明治専門学校(現・九州工業大学)第一期生。
来歴・人物
福岡県遠賀郡香月村楠橋(現・北九州市)生まれ[2]。父は村役場の助役、収入役を経て長らく村長を務めた[2]。
旧制東筑中学(現・福岡県立東筑高等学校)[3]、明治専門学校機械工学科を卒業後、三井物産に入社[1]。
三井物産名古屋支店長時代の1936年、当時の東洋レーヨン社長に見込まれ、同社取締役に転じる。1945年に社長となるが、公職追放となる[1]。1950年代表取締役会長として復帰し、1970年まで務めた。会長時代にはナイロン、ポリエステルの製造技術を欧米から導入し、同社を発展させた[1]。
1959年に日本インダストリアル・エンジニアリング協会初代会長に就任し[4]。翌年には(財)東洋レーヨン科学振興会を設立。また1972年には、日本経済新聞の名物コラム『私の履歴書』に取り上げられた。
親族
英文学者・翻訳家・ラフカディオ・ハーン研究家の田代三千稔は弟。
著書
脚注
- ^ a b c d e “田代 茂樹 タシロ シゲキ”. コトバンク. 2025年11月8日閲覧。
- ^ a b 私の履歴書 1973, p. 209.
- ^ 私の履歴書 1973, p. 214.
- ^ 歴史日本インダストリアル・エンジニアリング協会
参考資料
- 桑木彧雄とアインシュタイン - ウェイバックマシン(2013年11月9日アーカイブ分)
|
|
|
|
|
|
- 田代茂樹のページへのリンク