伊藤與三郎とは? わかりやすく解説

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伊藤與三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/25 08:54 UTC 版)

伊藤 與三郎(いとう よさぶろう、1887年明治20年)12月 - 1978年(昭和53年)5月25日)は、日本実業家東洋レーヨン会長や、同社社長を務めた。

人物・経歴

1905年名古屋商業学校(現名古屋市立名古屋商業高等学校)卒業、三井物産入社。三井物産シドニー支店長、三井物産ハンブルク支店支配人[1]、三井物産大阪支店長等を経て[2]、1939年住井辰男らとともに三井物産常務取締役に就任[3]東洋レーヨン取締役を経て、1942年東洋レーヨン会長[4]

1943年元三井物産山西省太原出張所長の不正事件を受け、向井忠晴三井総元方理事長兼三井物産会長らとともに、三井物産常務取締役を辞職した[5]

1944年からは東洋レーヨン社長を務め[6]太平洋戦争中の経営にあたり、日本の降伏後、連合国軍総司令部により公職追放となった[7]。1968年勲三等瑞宝章受章[8]。1978年正五位[9]

親族

妻志保子は佐佐木行忠伯爵の従妹[1]

脚注

  1. ^ a b 「伊藤與三郞 (男性)」人事興信録データベース(名古屋大学)
  2. ^ 「三井物産株式會社大阪支店長 伊藤與三郎 / 3 (0032.jp2)」タイトル 青瓢庵追憶 出版地 踞尾村 (大阪府) 出版社 青瓢庵追憶編纂会 出版年月日等 昭和16
  3. ^ 「三井物産(株)『挑戦と創造 : 三井物産一〇〇年のあゆみ』(1976.07)」渋沢社史データベース
  4. ^ 「東レ(株)『東レ70年史 : 1926~96年. 資料編』(1997.12)」渋沢社史データベース
  5. ^ 三井"商人的機能"一掃へ物産全重役引責辞任大阪朝日新聞 1943.11.2 (昭和18)(神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 企業(3-005))
  6. ^ 「東洋レーヨン(株)『東洋レーヨン35年の歩み : 1926-1961』(1962.04)」渋沢社史データベース
  7. ^ 「会社創立とレーヨン事業の発展」 - 東レ
  8. ^ 官報昭和43年本紙第12568号 12頁
  9. ^ 官報昭和53年本紙第15416号 9頁
先代
辛島浅彦
東洋レーヨン会長
1942年 - 1944年
次代
田代茂樹
先代
社長制新設
東洋レーヨン社長
1944年 - 1945年
次代
田代茂樹



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