伊藤萬蔵とは? わかりやすく解説

伊藤萬蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/03 15:20 UTC 版)

伊藤萬蔵寄付によるみちしるべ(愛知県岩倉市、2017年11月)

伊藤 萬蔵(いとう まんぞう、1833年天保4年) - 1927年昭和2年)1月28日)は、尾張国出身の実業家篤志家

人物

1833年(天保4年)正月、尾張国稲木庄平島村(現愛知県一宮市平島)において、父治左衛門、母りかの長男として[1]生を受ける[2]

丁稚奉公を経て、名古屋城塩町四丁目において「平野屋」の屋号で開業[3]。名古屋実業界において力をつけ、名古屋米商所設立に際して、発起人に名を連ねる[4]

のち、各地の寺社に寄進を繰り返したことで知られる。現在知られる最古の例は、文久元年(1861年)銘の狛犬で、連名ではあるが、名古屋市西区の宗像神社境内に残る[5]。また、単独では一宮市常保寺の石灯籠が最古とされる[6]

生前最後の寄付は、1926年大正15年)9月の常滑市玉泉寺のもので[7]、死後の1927年昭和2年)3月に谷汲山華厳寺山門脇に寄付されたものが最後とされる[8]

晩年は「徳山」の号を用いており[9]、家督とともに伊藤萬蔵の名も譲っていた。

1927年(昭和2年)1月28日5時に病没し、葬儀は中区白川町誓願寺において翌日14時から15時にかけて行われ(『新愛知』1927年1月29日付)[10]、米野火葬場において荼毘に付された[11]。墓所は誓願寺にある[12]

訃報記事によれば、名古屋市内に借家を数百軒持っていたとされる(『新愛知』1927年1月29日「一粒の米にも感謝を捧げ 敬虔な祈りに生きた 徳山翁のこととも」)[13]。また、同時期に名古屋で活躍した矢田績は、「名古屋の名物老人」「一種の変人でもある」と評して故人を偲んでいる(『新愛知』1927年2月4日「伊藤萬蔵翁の事」)[14]

脚注

[ヘルプ]

参考文献

  • 市江政之 『石造物寄進の生涯 伊藤萬藏』 ブックショップマイタウン、2011年9月21日(日本語)。ISBN 9784938341381

伊藤 萬蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/03 15:20 UTC 版)

「伊藤萬蔵」の記事における「伊藤 萬蔵」の解説

1927年昭和2年1月28日)は、尾張国出身実業家篤志家

※この「伊藤 萬蔵」の解説は、「伊藤萬蔵」の解説の一部です。
「伊藤 萬蔵」を含む「伊藤萬蔵」の記事については、「伊藤萬蔵」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「伊藤萬蔵」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「伊藤萬蔵」の関連用語

伊藤萬蔵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



伊藤萬蔵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの伊藤萬蔵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの伊藤萬蔵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS