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田代捨己

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/01 00:50 UTC 版)

田代捨己
たしろ すてき
生年月日 1915年8月26日
出生地 日本 熊本県
没年月日 (2003-04-04) 2003年4月4日(87歳没)
出身校 熊本県立熊本農業学校卒業
前職 走潟村農業協同組合技術指導員
所属政党 自由民主党→)
無所属

当選回数 2回
在任期間 1982年4月29日 - 1990年

走潟村長
在任期間 1953年9月10日 - 1954年9月30日
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田代 捨己(たしろ すてき、1915年大正4年〉8月26日[1] - 2003年平成15年〉4月4日[1][2])は、日本政治家。元熊本県宇土市長(2期)。

来歴

熊本県出身[1]1934年昭和9年)熊本県立熊本農業学校卒業[1]。卒業後は台湾製糖に勤務する[1]。戦後、復員し、走潟村農業協同組合技術指導員となる[3]1953年(昭和28年)9月10日から1954年(昭和29年)9月30日まで走潟村長を務めた[4]。走潟村は同年に宇土町に編入され、宇土町役場勤務となる[3]1958年(昭和33年)に宇土市施行により、宇土市役所勤務となり[3]、経済、保険年金、農政の各課長、収入役となる[3]

1982年宇土市長選挙

1982年(昭和57年)宇土市長選挙に自民党公認で立候補し、同じく自民党公認の現職大和忠三を破って初当選を果たした[5]

※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率 推薦・支持
田代捨己 66 自由民主党 13,216票 61.9% -
大和忠三 70 自由民主党 8,132票 38.1% -

同年4月29日に就任した[3]1986年(昭和61年)の選挙は無所属、自民党推薦で立候補して再選を果たした[6]1990年(平成2年)の市長選挙で落選した[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』319頁。
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』417頁。
  3. ^ a b c d e 『日本の歴代市長』第3巻、689頁。
  4. ^ 宇土市史 291コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 読売年鑑 昭和58年版.[本編 42コマ]』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 昭和61年7月6日執行「衆・参同日選挙」に関する新聞記事資料集 [1 (昭和60年6月4日~61年6月9日) 81コマ]』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
  • 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。



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