田代律雄
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田代 律雄(たしろ りつお、1860年11月16日(万延元年10月4日)[1] - 1910年(明治43年)4月24日[2])は、明治時代の司法官。大審院判事。
経歴
もと熊本藩士[2]。1890年(明治23年)判事に任じられて東京地方裁判所判事となり、ついで宇都宮地方裁判所部長、東京控訴院部長判事などを経て、1901年(明治34年)大審院判事に任じた[3]。1910年(明治43年)4月24日、東京府荏原郡入新井村(入新井町、東京市大森区を経て現東京都大田区)の自邸で卒去した[2]。
栄典
- 位階
脚注
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
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