田中昌彦とは? わかりやすく解説

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田中昌彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/03 06:19 UTC 版)

田中 昌彦(たなか まさひこ、1941年2月24日 - )は、東京都出身の空手家日本空手協会八段・前副首席師範・現技術局顧問IAKF世界大会の第一回、二回の優勝者。

来歴

東京都出身。父親の仕事の都合で小学生、中学生時代は日本各地へ転校を繰り返す[1]。中学時代は柔道に明け暮れ、高校一年を京都の立命館高等学校で過ごした後、二年生から東京の日本大学鶴ヶ丘高等学校へ転校、 ラグビー部を創設し右のロックで活躍する。[1]

日本大学経済学部にラグビー推薦で入学、大学一年生の時に父親を亡くし、林業を専門に勉強するため二年生の時に農獣医学部に転部、在学中に日本空手協会本部の四谷道場に通う。日本大学空手部にも入部。[1]

大学卒業後会社員となり、その後、31歳の時、空手の指導員としてデンマークに渡った。デンマークに四年滞在したのち35歳で正式に協会の指導員となる。[1]1980年の第3回IAKF世界大会の団体部門優勝を最後に一時引退、46歳で復帰し、第29回全国空手道選手権大会でベスト8になるなど、日本空手協会が主催する選手権大会で活躍し「覇者」と称された。

杖道は59歳より始め、紘武館、松村重紘杖道範士八段に師事している。

主な戦績

  • 1973年 - 日本空手協会主催の第16回全国空手道選手権大会組手部門第3位
  • 1974年 - 日本空手協会主催の第17回全国空手道選手権大会の組手部門優勝
  • 1975年
    • 日本空手協会主催の第18回全国空手道選手権大会の組手部門優勝(2連覇)
    • 第1回IAKF世界大会の組手部門優勝
  • 1977年
    • 日本空手協会主催の第20回全国空手道選手権大会の組手部門優勝(3回目)
    • 第2回IAKF世界大会の組手部門優勝(2連覇)
  • 1980年 - 第3回IAKF世界大会の団体部門優勝
  • 1986年 - 日本空手協会主催の第29回全国空手道選手権大会組手部門ベスト8

主な著書

映像作品

  • 覇者の組手 全5巻(チャンプ)

脚注

  1. ^ a b c d 福昌堂 実録ケンカの鉄人

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