生い立ち~高校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 00:09 UTC 版)
天満小学校~観音中学校を経て、広島商業に進学。1973年、広島商業の主将・1番・遊撃手として佃正樹、達川光男、楠原基、川本幸生らと春センバツ出場。怪物・江川卓一色となったこの大会、準決勝で江川の作新学院と対決。迫田穆成監督が指示した待球戦術他と終盤、金光らが企てたダブルスチールで、慌てた捕手・小倉偉民が三塁に悪送球して決勝点を奪い江川を倒した。しかし決勝は、エース永川英植らを擁して渡辺元監督が率いる横浜高校に延長戦の末敗れ、準優勝に終わった。 同年木製バット最後となった夏の甲子園では決勝戦で植松精一らを擁した静岡高校を、9回サヨナラ満塁スリーバントスクイズで降し全国制覇を達成した。この試合の観客58000人は当時の新記録だった。
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