甘粕重政
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時代 | 戦国時代末期 - 江戸時代 |
生誕 | 永禄10年1567年 |
死没 | 寛永7年6月25日(1630年8月3日) |
改名 | 重元→重政 |
別名 | 総(惣)五郎 |
戒名 | 雙林院殿天誉台郭居士 |
墓所 | 浄土宗栄松寺米沢市桜木町3丁目56 |
官位 | 丹後守(受領名) |
主君 | 豊臣秀次→上杉景勝→松平忠直→上杉景勝→定勝 |
藩 | 出羽米沢藩士 |
氏族 | 河内源氏義国流新田氏流甘粕氏 |
父母 | 父:甘粕景持(長重)母:黒金上野介景信妹 |
兄弟 | 兄:加賀守尚政 |
妻 | 黒金安芸守尚信娘 |
子 | 長男:右衛門信綱、次男・嫡子:数馬介忍重 |
甘粕 重政(あまかす しげまさ)は、戦国時代末期から江戸時代にかけての武将。
上杉氏の家臣で上杉景勝・定勝の側近の一人。川中島の合戦で殿として名を馳せた甘粕近江守景持(長重)の次男・嫡子である。姓は「甘糟」と表記される場合もある。
妻は黒金安芸守尚信の娘。母の姪との婚姻であり、従妹同士の婚姻となる。
寛永2年(1625年)に死去。戒名は西照院殿新月妙光大姉。
出自
甘粕景持(長重)の欄を参照。
生涯
永禄10年1567年越後で生まれる、母は、黒金上野介景信の妹で重政を産み直ぐに亡くなったと思われる。
長男尚政が、いたため父の下を離れて豊臣旗下の武将として1,000石を賜り、豊臣秀次に仕える。
しかし、長男尚政が、文禄2年(1593年)、代々の家宝・主君からの書状・感状を持ち去り出奔をしたため、嫡子として帰参し、会津若松時代に父景持(長重)の下へ戻り父の在勤中に大小姓中に1,000石で勤仕する[1][2][3]。
理由及び加増時期は不明だが、米沢転封直前の分限帳から1,700石に加増されていることが分かる[4]。(父景持(長重)の3,300石と合わせて甘粕近江守一族として5,000石となる)
慶長9年(1604年)8月、米沢で父景持(長重)が没し、1,100石[5]又は1,000石[6]で家督を相続する。
慶長14年(1609年)理由は不明ながら浪人し、松平忠直に仕える。少なくとも大坂の陣には部隊を率いて参戦していることから、それまでに帰参をし、1,000石で侍組に入っている[6][7]。
慶長19年(1614年)10月15日景勝に従い、重政は、隊を率いて大阪へ向けて米沢から出陣し、10月20日には江戸からの隊と合流する(大阪冬の陣)[8][9]。
元和元年(1615年)重政は、大阪夏の陣に従軍し、戦利品として備前長船忠光作の槍を一本、雛人形のお膳を一つ、唐金(青銅)製の火掻き棒を一つ手に入れた[10]。
寛永元年(1624年)10月15日、本丸の御座所が新しく建てられ、三代藩主定勝が、移るお祝いとして、多くの侍組の藩士と共に重政は、城に登り定勝に拝謁しお祝いの品を献上した[11]。
寛永二年(1625年)7月12日徳川忠長が日光等東照宮へ参拝するのに合わせて、重政は、米沢藩の使者として幕府と忠長への献呈の品を届ける[12]。
脚注
- ^ 矢田俊文;福原圭一;片桐昭彦『上杉氏分限帳ー越後・新潟・米沢ー』高志書院、2008年10月1日、上杉侯家士分限簿148頁,150頁, 会津御在城分限帳192頁,196頁。「148頁,192頁:一、三千三百石:甘粕近江守/ 150頁,196頁:一、千石:甘粕惣五郎」
- ^ 花ヶ月盛明『桝形城』越路町教育委員会、1975年、51頁。「源姓天河瀬氏系譜(当時:市立米沢図書館蔵→現在:上杉博物館蔵) 始関白秀次公二奉仕ス景持嫡子浪人二依テ皈参ノ上為嫡子秀次二於テ千石賜フ二ヨリ御当家二於テモ千石ヲ玉ハリ景持在勤中大小姓隊中に別勤」
- ^ 花ヶ前盛明『桝形城』越路町教育委員会、1975年3月1日、44頁。「源姓甘粕近江守家系図(当時:上杉家所蔵→現在:市立米沢図書館蔵) 会津ニテ大小姓秩千石賜之大小姓勤之…」
- ^ 矢田俊文;福原圭一;片桐昭彦『上杉氏分限帳ー越後・新潟・米沢ー』高志書院、2008年10月1日、271頁,273頁。「271貢:一、三千三百石甘粕近江/273貢:一、甘粕惣五郎千七百石」
- ^ 中条因幡備資『家督先後録』中条因幡備資、1797年。「一千百石 父近江長重實二男 甘粕総五郎重元 改丹後」
- ^ a b 米沢藩 編『侍組禄席掌故』米沢藩。「千石 甘粕総五郎重元」
- ^ 花ヶ前盛明『桝形城』越路町教育委員会、1975年、45頁。「源姓甘粕近江守家系図(当時:上杉家蔵→現在:市立米沢図書館蔵)其後帰参シテ父長重之家督秩千石賜之侍隊中二入」
- ^ 米沢温故会『上杉家御年譜 第3巻 景勝公 2』米沢温故会、1989年、354頁。ISBN 978-4562019823。「甘粕丹後重元 鉄砲六挺 槍五挺 手槍一挺 小旗一本 差物一本 手明者四人 挟箱者一人 馬上馬取相副」
- ^ 米沢温故会『上杉家御年譜 第3巻 景勝公 2』米沢温故会、1989年、361-362頁。
- ^ 花ヶ前盛明『桝形城』越路町教育委員会、1975年、51頁。「源姓天河瀬氏系譜(当時:市立米沢図書館蔵→現在:上杉博物館蔵)元和元年四月大阪二度ノ御陣供奉此節分取ノ備前長船忠光ノ槍一本雛ノ膳一ツ唐金ノ火カキ一ツアリ」
- ^ 米沢温故会『上杉家御年譜 第4巻 定勝公』米沢温故会、1989年、88頁。 ISBN 978-4562019830。「今般本丸御座之間新営御移徙ノ賀儀トシテ諸士登城賀儀ヲ献呈 定勝公二拝謁シ奉ル 武田大膳大夫信清 中條東市盛直(中略)甘糟丹後重政(後略)」
- ^ 米沢温故会『上杉家御年譜 第4巻 定勝公』米沢温故会、1989年、98頁。「今般幕府ノ御舎弟甲府黄門忠長卿ヲ御同伴アリテ 日光御社参有ヘキ旨仰出サル由 田代大膳ヨリ千坂伊豆守マテ告達アリ 此二依テ同十二日使節甘粕丹後重政ヲ以テ御羽織五領 野袴二具ヲ 幕府二献呈アリ 御羽織三領 野袴二具ヲ 忠長卿二進呈シ玉フ」
参考文献
書籍
- 花ヶ前盛明『桝形城』 越路町教育委員会、1975年。
- 矢田俊文;福原圭一;片桐昭彦『上杉家分限帳ー越後・新潟・米沢ー』新潟大学、2008年。ISBN 978-4862150417
- 米沢温故会『上杉家御年譜 第24巻 御家中諸士略系譜 2』米沢温故会、1989年。ISBN 978-4562020034
- 米沢温故会『上杉家御年譜 第3巻 景勝公2』米沢温故会、1989年。ISBN 978-4562019823
- 米沢温故会『上杉家御年譜 第4巻 定勝公』米沢温故会、1989年。ISBN 978-4562019830
資料
- 『家督先後録』著者:中条因幡備資、1797年。慶長7年以降の侍組の家督や変遷を記す。(複写:市立米沢図書館蔵)
- 『侍組禄席掌故』著者:米沢藩、1630年頃。慶長12年~寛永3年の侍組の石高の推移を示したもの。(上杉文書:上杉博物館蔵)
- 『清和源氏甘粕家系譜』(市立米沢図書館蔵)
- 『源姓天河瀬氏系譜』(上杉博物館蔵)
- 『源姓甘粕近江守家系図』(市立米沢図書館蔵)
- 『米沢藩士 先祖書』『米沢藩士 謹書』先祖書・謹書と合わせて江戸時代の米沢藩士の個々の事績を纏めたもの(複写:市立米沢図書館)
- 『文禄3年定納員数目録』文禄3年の上杉家臣団の知行高が記されている(複写:市立米沢図書館蔵)
- 『越後分限帳』越後時代(時期不明)の上杉家臣団の知行高が記されている(複写:市立米沢図書館蔵)
- 『会津御在城分限帳』慶長3年~6年会津120万石時代の上杉家臣団の知行高が記されている(複写:市立米沢図書館蔵)
- 『先祖書一』元文5年に編纂された初代上杉景勝から六代宗憲時代の米沢藩士全員の事績をまとめたもの(複写:市立米沢図書館)
- 甘粕重政のページへのリンク