王緒高とは? わかりやすく解説

王緒高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/15 23:19 UTC 版)

王緒高
プロフィール
出生: 1890年光緒16年)[1][2]
死去: 1951年[1]
中華人民共和国
出身地: 山東省登州府蓬莱県[1][2]
職業: 官僚・政治家
各種表記
繁体字 王緒高
簡体字 王绪高
拼音 Wáng Xùgao
ラテン字 Wang Hsü-kao
和名表記: おう しょこう
発音転記: ワン シューガオ
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王 緒高(おう しょこう、1890年〈光緖16年〉 - 1951年)は、中華民国の官僚・政治家。中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権華北政務委員会において各職を歴任した。

事績

1912年(宣統3年)、北洋高等警務学堂(学校)を卒業し、直隷省武清県などで県知事を歴任している。国民政府北伐後は、河北省政府公署で科長や秘書をつとめたという[1][2]

王克敏が創設した中華民国臨時政府において、王緒高は河北省豊潤県県長をつとめていた[注 1]。臨時政府が南京国民政府(汪兆銘政権華北政務委員会に改組された後の1940年(民国29年)5月14日、王緒高は河北省津海道道尹代理に昇進した[3]

1943年民国32年)2月[注 2]、王緒高は河北省公署民政庁庁長代理に就任したが[4]、3月には天津特別市市長代理も兼任する[5]。更に4月には、華北の省長・特別市長級が兼任する華北河渠委員会委員にも就いた[6]。この異例の状況は半年ほど続いたが、結局、10月15日に天津特別市市長代理と華北河渠委員会委員の両職から退任している[7][注 3]。残る河北省公署民政庁庁長代理には王が留任したと見られ[注 4]、1945年5月時点でも在任していたと考えられる[注 5]

日本敗北後、王緒高は蔣介石の国民政府に漢奸として逮捕され、1946年(民国35年)7月15日、河北高等法院で懲役8年の判決を受けている[8][9]。中華人民共和国建国後の1951年に処刑された。享年62[1][注 6]

脚注

注釈

  1. ^ 臨時政府『政府公報』には県長在任中の王緒高につき記載があるものの(『政府公報』〈臨時政府1937年-1940年〉第56号、民国28年2月1日、2-3頁など)、任命日など人事異動に関する情報は見当たらない。徐主編(2007)や満蒙資料協会(1942)では初期の経歴として豊潤県県長を記載しているため、臨時政府創設以前からその地位に在った可能性もある。また徐主編(2007)では、臨時政府時代に天津特別市で各職を歴任した旨記述されているが、臨時政府『政府公報』にその種の記載は見当たらない。
  2. ^ 同月、華北政務委員会委員長が王揖唐から朱深に交替した。
  3. ^ 華中の漢口特別市市長から異動してきた張仁蠡が、王緒高の後任として天津特別市市長に就くことで決着している。なお張は、天津特別市市長としての正式な任命を国民政府中央から受けた。
  4. ^ 劉ほか編(1995)、1128頁は、この時に王緒高が河北省民政庁庁長も退任し、元・内務総署局長の陳賛虞が後任になったとしている。しかし公報第244期以降において、王の庁長退任・陳の庁長就任の双方につき、『華北政務委員会公報』に該当する人事情報が見当たらない。また、河北省公署(1944年2月以降は河北省政府)民政庁庁長に関する他の人事情報も見当たらない。そのため本記事では、いったん王が庁長留任と見なす。
  5. ^ 現存する『華北政務委員会公報』は、1945年(民国34年)5月29日発行の第349-354期合刊までである。第244期以降において、王緒高の人事情報は見当たらない。
  6. ^ 王緒高の処刑理由は不明。同年5月、漢奸の大量処刑が実施され、『人民日報』1951年5月23日に名簿が掲載されたが、その中に王の名前は見当たらない。7月には徐良温世珍が天津市で処刑されたが、こちらでも王の名前は報道(『人民日報』1951年7月12日)に無い。

出典

  1. ^ a b c d e 徐主編(2007)、170頁。
  2. ^ a b c 満蒙資料協会(1942)、505頁。
  3. ^ 華北政務委員会任用令、任字第276号、民国29年5月14日(『華北政務委員会公報』第1-6期合刊、民国29年6月9日、本会32頁)。
  4. ^ 華北政務委員会令、会字第933号、民国32年2月26日(『華北政務委員会公報』第193・194期合刊、民国32年3月9日、本会3頁)。
  5. ^ 華北政務委員会令、会字第1022号、民国32年3月18日(『華北政務委員会公報』第199・200期合刊、民国32年4月9日、本会8頁)。
  6. ^ 華北政務委員会令、会字第1125号、民国32年4月7日(『華北政務委員会公報』第205・206期合刊、民国32年5月9日、本会2頁)。
  7. ^ 華北政務委員会令、会字第1707号、民国32年10月15日(『華北政務委員会公報』第243期、民国32年11月11日、本会4頁)。
  8. ^ 益井(1977)、184頁。
  9. ^ 張(2012)、417頁。

参考文献

  南京国民政府(汪兆銘政権
先代
温世珍
天津特別市長(代理)
1943年3月 - 10月
次代
李鵬図




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