玉浦・泗川湾・唐浦の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 02:20 UTC 版)
「閑山島海戦」の記事における「玉浦・泗川湾・唐浦の戦い」の解説
5月7日頃、李舜臣は91隻を率いて加徳島の玉浦に停泊する日本の輸送船団を攻撃し、26隻を撃破した(宣祖修正實録)。 同月29日、李舜臣は泗川湾で日本輸送船団を攻撃し、大船12隻を焼き払った。この時舜臣も銃弾を左肩に受け負傷した。6月2日朝、李舜臣は唐浦に停泊中の来島通之・亀井茲矩率いる20余隻の船団を攻撃した。 これに対処するために豊臣秀吉は6月23日付けの書状で陸戦や後方輸送に従事していた脇坂安治(動員定数1500人)、九鬼嘉隆(動員定数1500人)、加藤嘉明(動員定数750人)の三大名を招集し、朝鮮水軍を討つように命じた。
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