獄舎と晒し首
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/26 02:51 UTC 版)
獄舎は左右両京に置かれていた。 左獄は近衛大路の南、西洞院大路の西にあり東獄ともいい、右獄は中御門大路の北、西堀河小路の西にあり西獄ともいった。獄屋の門前には樗の木があり、罪人の首をかけることがあった。 平将門、源為義、源義朝、藤原信頼は東獄に、安倍貞任、源義親は西獄に梟首された。また、出羽守源信明の館を襲撃して源義綱の郎党に鎮圧された平師妙と子の平師季は西獄に梟首された。義親の梟首についても『中右記』に記されている。 また、竹内理三 『日本の歴史6 武士の登場』には、平治物語絵詞 第2軸 信西巻 最終部分の画像が載せられており、これによれば信西の首は樗の木ではなく門に直接さらしたことになっている。これが獄門という言葉の由来である。 西獄はのちに荒廃したものらしく、『拾芥抄』の京程図には載せられていない。
※この「獄舎と晒し首」の解説は、「囚獄司」の解説の一部です。
「獄舎と晒し首」を含む「囚獄司」の記事については、「囚獄司」の概要を参照ください。
- 獄舎と晒し首のページへのリンク