猿楽町
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猿楽町
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旧「猿楽町」(さるがくちょう)は、元安川と東西の電車通り(現・相生通り)および南北の電車通り(現・鯉城通り)に挟まれた位置にあり、現在の大手町大手町一丁目・紙屋町二丁目の一部に相当する。町名は能(猿楽)役者が多く居住していたことに由来するとの説があるが不詳である(知新集)。藩政時代には、当時の交通のメインルートであった河川に面していたことから、木材の集散地となり多くの材木商が店を構えていた。1915年には元安川に面する旧広島藩米蔵跡地に広島県商品陳列所(のち産業奨励館と改称、現在の原爆ドーム)が建設され、町のシンボルとなった。
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