片山長三の記録
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1957年、片山長三は三之宮神社の古文書「穂谷三之宮大明神年表録」を信用し(片山 1957, p. 268)、「河州交野郡五ヶ郷総侍中連名帳」を疑い(片山 1957, pp. 272–273)、三之宮神社古文書類の経緯について下記の様に説明している。 去る昭和二九年九月十九日著者は三ノ宮神社へ行って、宮司三島宣次氏に乞い所蔵の古記録五巻の閲覧をゆるされた。この五巻を納めた箱には当社祠官三松俊季氏の箱書があって、それによると、この五巻はかつて当社の所属であつたが、山城木津の今井良政氏先代の手に渡つていたものであつて、明治二十八年十二月津田三宅源治郎、穂谷上武庄太郎両氏によつて買い戻され、再び当社に納められることゝなつた由を記していて…… — 片山長三、 ……三ノ宮神社所蔵古記録五巻の箱の蓋に社司三松俊季の記した古記録の由来によると、京都府相楽郡木津町今井良政方に当社に関する古記録類が所蔵せられてあると伝えられたので、明治二十八年(一八九五年六十年前)穂谷の上武……氏とゝもに同家を訪い、右の古記録を譲り受けて持ち帰り三ノ宮に納めたものである。その五巻とは氷室郷穂谷氷室遺址権興記氷室郷穂谷来因之記三之宮大明神年表録河州交野郡五ヶ郷総侍中連名帳永禄二年五ヶ郷侍名前帳 この五巻について問題は種々あるが、三ノ宮の氏子としての当地方にとつては大切な記録であって、これらがこゝに伝えられることゝなつたことは三宅上武両氏の功とせなければならぬ。 — 片山長三、
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