熱海・箱根
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 15:00 UTC 版)
熱海では将校用慰安所として熱海観光閤(当初は風喜荘)が開設され、初代所長はRAA常務理事をつとめた佐藤甚吾であった。一般慰安所としては、玉乃井別館が開設された。この旅館は1946年2月に作家の高見順が久米正雄、中山義秀と宿泊しようとした際、RAA旅館に日本人は宿泊できないために日系二世を名乗って宿泊している。ほかにキャバレー・ニュー・アタミがあり、ここは地元で大湯ダンスホールとも呼ばれ、日本人も利用できた。富士屋本館もRAA関連施設であった。米第八軍に接収された熱海ホテルは「a special service hotel」と掲げられていた。 箱根では常磐ホテルが特殊慰安所であった。富士屋ホテル、強羅ホテルでも米第八軍の「スペシャル・サービス班」が関与していた。
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