煽動政治家クレオン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 18:20 UTC 版)
クレオン(Κλέων)はアテナイの政治家である。典型的なデマゴーグとされ、好戦的な主張で民衆を煽動した。 ペロポネソス戦争中の紀元前429年に指導者ペリクレスが病死すると、弁論術を武器に民衆の人気を集めたクレオンらは、スパルタとの和平案に反対し、民会で戦争の継続を主張した。このため戦争は続行されたが、クレオンは紀元前422年にアンフィポリスの戦いにおいて敵将ブラシダスと共に戦死した。彼の死の翌年にニキアスの和約が成り、平和が訪れるかに思えたが、後に遠征軍が悲劇的な末路を遂げたシケリア遠征を唱えたアルキビアデスによって戦争は再開された。アテナイは適切な指導者を欠いたため漸次敗北した。紀元前404年に降伏したアテナイはギリシアの覇権を失い、デロス同盟は解散し、全てを失った。 アリストパネスやトゥキディデスはクレオンを粗野な成り上がりのデマゴーグ、主戦論者として酷評している。
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