無株者と株持ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 14:30 UTC 版)
文化の勝手造り令は必ずしも酒屋たちにとって手放しでめでたい話とならなかった。醸造業界へ新規参入した、酒株を持たない者、すなわち無株者(むかぶもの)たちと、昔から酒株を持ち酒造りをしてきた者、すなわち株持ちたちの間で集団的な軋轢(あつれき)が生じた。株持ち酒屋たちは連帯し、談合し、陰で価格協定をむすんで無株者の業界締め出しを企んだ。 さらに幕府の朝令暮改がこれに追い討ちをかけることになる。文化8年(1825年)、幕府は一転して酒株制度を旧来どおり復活させる旨を通達し、無株者の酒造りを禁じた。無株者たちは激しく反発し、幕閣の中でも異論が続出し、幕府はあわてて文化10年(1827年)にふたたび文化8年以前どおりに無株者の酒造りを許す旨を示達した。 ところが、今度は株持ち酒屋たちと彼らに政治献金を受けている幕閣たちの激しい抵抗が起こり、幕府はみたび文化11年(1828年)、無株者と休株の酒蔵、ならびにこれから新規に酒造りに参入しようと志す者は次の示達あるまで酒造りを禁ずるとした。
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