濁川村、南浜村、坂井輪村との合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 19:33 UTC 版)
「新潟市の行政区域の変遷」の記事における「濁川村、南浜村、坂井輪村との合併」の解説
「町村合併促進法」による町村の標準人口は8,000人以上であったため、人口約4,200人の濁川村、約5,000人の南浜村、約6,700人の坂井輪村は、どこかと合併しなければならなかった。 1954年(昭和29年)3月17日に出された新潟県の合併計画案では、濁川村、南浜村は木崎村と合併することになっていたが、北蒲原郡町村合併促進委員会は、3月27日に葛塚町を中心に岡方村、長浦村、南浜村、濁川村、木崎村を合併する案を上げ、いずれも濁川村、南浜村と新潟市との合併は考慮していなかった。しかし、このときすでに新潟市は、濁川村、南浜村に合併を申し入れていた。 新潟市の呼びかけに、濁川村は3月27日に、南浜村は4月3日に合併を議決。両村の新潟市との合併の動きに北蒲原郡町村合併促進委員会は引き止めを図ったが、両村とも新潟市との合併の意思を変えなかった。 坂井輪村は、新潟県の合併計画案では内野町と合併することになっていたが、村では自主独立の方針を採っていた。1954年(昭和29年)3月、坂井輪村は内野町から「大内野町構想」に基づいて赤塚村、中野小屋村とともに合併を呼びかけられていた。また、新潟市からも、合併の申し入れがあった。こうした働きかけに坂井輪村でも合併の機運が高まり、村民の世論調査の結果、6月26日に新潟市との合併を決めた。 新潟市議会は3村の合併を議決し、1954年(昭和29年)11月1日に合併した。
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