潮谷号浅野商店の創業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 15:00 UTC 版)
東京日本橋大伝馬町3丁目の伊部商店伊部信兵衛方に8年間奉公した後、1886年(明治19年)日本橋通塩町5番地(現在の中央区日本橋横山町)に居を構えて綿ネル反物、縮反物、シャツ、ズボン下等の布帛製品および洋傘の製造販売を開始した。開業当初には、浅野百蔵自ら店員と一緒に大八車を引いて、得意先回りをした。東京市内は勿論のこと、埼玉、群馬の両県から信越地方まで、小売店の得意先確保に働き回った。創業6年目の浅野商店は、ムネ当、カラー、カフス、等の自家製造に着手した。そのため、本所松井町に第1工場(ワイシャツ工場)を建て、馬喰町にも第2工場(肌着類、シャツ、ズボン下製造)を持った。さらに専属下請業者として、浅草向柳原、本所に3つの工場を確保した。1896年(明治29年)、浅野百蔵は、浅野商店に「潮谷(ちょうや)」という冠称を付け、社名を潮谷号浅野商店とする。2年後の1898年(明治31年)、潮谷商店と改称する。
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