漱石と中根家の人々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 03:31 UTC 版)
裏表がなく、ずけずけとものを言う鏡子の性格は、鏡子を含めた中根家の姉妹に共通したものだったらしい。後述する孫の半藤末利子(長女・筆子と松岡譲の四女、小説家・半藤一利夫人)の手記によると、鏡子の妹たちがそれぞれ夫を迎えてからも、姉妹間の行き来は前と変わることがなく、彼女たちの夫も漱石とは相婿として親しく兄弟付き合いをしていた。また、この妹たちは姉と同様に漱石に対してずけずけと、時には鏡子でも言いづらいことを言うこともしばしばだったが、漱石は義兄である自分にこのように話す彼女たちを歓迎していたようである。ことに鏡子の末妹に対しては、彼女が物心ついた時には中根家が没落し始めており、姉たちのように良い暮らしができずに育ったことを憐れんでか、彼女をよく可愛がり、何かと理由をつけては小遣いを与えたり着物を買ってやったりしたという。鏡子もこのことをよく承知しており、漱石の機嫌が悪くてどうしようもないときは、彼女に家に来て取り成してくれるように頼むことがよくあったらしい。
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