漢軍との戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/28 11:30 UTC 版)
清朝からは討伐軍が送られるが、双方対峙し、決着に至らない。この対峙している期間、林爽文と荘大田が閩南の漳州の系統の人物であり、漳州人と泉州人との抗争が以前から生じていたため、相当な泉州人が殺害されたと言われている。また、客家系と閩南系の対立もあり、客家人も巻き込んでかなりの虐殺を行ったとされている。その後、清朝がまた大規模な討伐軍を送ったことにより、林爽文率いる反乱軍は少しずつ敗色を呈してくる。
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